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sylphid

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Mañana será otro día

2010年 04月 12日 ( 1 )

「ラテン音楽 名曲 名演 名唱 ベスト100」
第8章 
ラテンアメリカの真実がみえる10曲-チリ-
④-El manifiesto-

-----------------------------引用-------------------------
 毎年、九月の声をきくようになると、心が痛む。1973年9月11日の、チリの軍部と警察がおこしたクーデターのさなかに虐殺されたビクトル・ハラ(1938~73)のことをどうしても思い出してしまうのだ。新しい歌の運動の旗手とうたわれ、歌手としてもソングライターとしても充実した活動をみせていた彼は、クーデター側に逮捕され、35歳の誕生日にあたっていた9月16日直前に、処刑されたのだ。英国出身の夫人ジョーン・ターナーが18日にモルグ(死体置き場)で彼の遺体を見つけたとき、その手は砕かれ、全身に銃弾の痕跡があったという。
 チリ南部の貧しい小作農家に生まれ育ったが、10歳だった48年にハラは一家とともに首都サンチアゴに移住。10代のときから演劇に関心をもち、56年に奨学生としてチリ大学の演劇部に入学したが、その翌年ピオレータ・パラに出会ったことから民謡にも惹かれるようになり、その後は2本立てで活動した。演劇人としても超一流だったが、ここではふれない。音楽に関しては65年にピオレータ・パラ家のライブハウス、ペニャ・デ・ロス・パラで唄うようになり、67年に初LP”Victor Jara“を発表。68年にはキラパジュンとの共演で制作したアルバム『アメリカ大陸の民謡集』がヒットし、批評家賞も授与された。69年には、チリ・カトリック大学が主催した『新しい歌の祭典』に参加し、『耕すものへの祈り』を演唱して優勝した。同じ年にチリ南部でおきた労働者のデモに対する弾圧に抗議する歌を発表し問題となったりもした。
 70年9月の大統領選挙で、社会党、共産党、急進党などが結束した人民連合のサルバドール・アジェンテが僅差で当選。これにより、チリは世界初の議会制民主主義にもとづく社会主義への道を踏み出したが、その地盤がもろかったうえに、なにかとことを急いだことがやがて裏目に出ることになる。たとえば、CIAによる反政府工作を招くことになり、それが打倒アジェンテのクーデターへと発展したわけである。一方、ハラはアジェンテ政権の音楽大使といった役割をにない、さらにめざましい活躍をみせる。といって、彼がアジェンデに迎合したわけではない。片や政治サイド、片や音楽サイドから、弱者の立場にたってよりよい社会を築こうとする姿勢が、もともと共通していたがゆえに、両者の協調が始まったにすぎない。事実ハラは、ピオレータがそうだったように、アジェンデ政権誕生以前から、社会の矛盾や不正を黙視できず、唄うことで闘ってきたことは、その作品がなによりも雄弁に物語っている。そして、この「宣言」は、クーデター直前の不穏な社会状況のなかで発表され、彼の最高傑作として知られている名曲である。

  ただ歌いたいからといって歌いやしない
  声がいいからってわけでもない
  歌うわけは
  このギターが
  思慮分別をもってるからさ
  このギターが大地の心と
  小鳩の翼をもってるからさ
  それは清められた水にも似て
  誉れと悲しみに十字を切る
  わたしの歌はここに居てぴったりする
  ピオレータ・パラが言ったように
  それ春の匂いをもった
  働き者のギターなんだ
  金持ち連中のギターとは
  それは似ても似つかぬもの
  わたしの歌は 星たちに手を伸べるための足場の歌
  歌は意味を持つものなんだ・・・・・・・・
  ほんとうの真実を歌いながら
  死んでいくであろう者の
  血管のうちにふるえるとき・・・・・・・・・・
  束の間のへつらいではなく
  よその国で得る名声でもなく
  それは土の底までも
  とどいてゆく草むらの歌
  すべてのものがそこへ着き
  すべてがそこから始まるところへ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  勇気とともにあった歌は
  永久にあたらしい歌なんだ      (濱田滋郎訳)

『ほんとうの真実を歌いながら/死んでいくであろう者の・・・・・・』というクダリは、ハラが、漠然とであれ、死を予感していたことを感じさせる。人民連合に対する右翼勢力の反発やいやがらせが日増しに強まるなかで、ただならない雰囲気を感じとっていたのだろう。
 そして、あの忌まわしい9月11日がやってくる。その日、ハラはある展覧会のオープニングで唄うために、サンチアゴの技術大学に行くことになっていた。ラジオでクーデター勃発のニュースは知っていたが、予定どおり大学に行き、包囲していた軍隊によって学生たちとともに中に閉じこめられ、その翌日拘束され、さらにスタジアムに移送され、そこで二日間監禁された。その間、ハラは懸命に歌を唄って仲間を励ましたそうだ。禁じても歌うことをやめないハラから、兵士がギターをとりあげると、彼は手拍子をとりながら唄いつづけ、それに業を煮やした兵士はハラの両手を銃の台尻で打ち砕き、さらに銃弾を浴びせたのだ。生き地獄のようなスタジアムからかろうじて脱出した人たちによって伝えられたハラの最期はあまりにもむごい。
 クーデター後、大統領になったピノチェットの政権下のチリでは、弾圧が強化され、数千人が行方不明になり、人口の約5分の1の人が亡命した。だが、そのチリにも90年に民政が復活し、禁じられていたハラの唄も自由に聴けるようになった。ハラが唄ったように、「勇気とともにあった歌は/永久にあたらしい歌なんだ」というわけだ。それに対してピノチェットは英国で身柄を拘束され、過去の悪行を裁かれようとしている。どうやら歴史の審判は下ったようだ。
--------------------------------ー引用終わり-----------------------
この話を聞く度、蟹工船の小林多喜二を思い出してしまいます。
彼も確か特高に身柄を拘束されリンチの末殺されてしまったんでしたよね。。
景気が悪いの、給料が安いのと不平不満を言いながらも、のほほんと暮らしていけるのは平和なんでしょうね。きっと。。ハラも多喜二もつい最近の人なのに。。。。

聴いてください。ビクトル・ハラがスタジアムで歌い続けたのもきっとこの曲だったのでしょう。。。
Victor Jara Manifiesto

Yo no canto por cantar
ni por tener buena voz
canto porque la guitarra
tiene sentido y razon,
tiene corazon de tierra
y alas de palomita,
es como el agua bendita
santigua glorias y penas,
aqui se encajo mi canto
como dijera Violeta
guitarra trabajadora
con olor a primavera.

Que no es guitarra de ricos
ni cosa que se parezca
mi canto es de los andamios
para alcanzar las estrellas,
que el canto tiene sentido
cuando palpita en las venas
del que morira cantando
las verdades verdaderas,
no las lisonjas fugaces
ni las famas extranjeras
sino el canto de una alondra
hasta el fondo de la tierra.

Ahi donde llega todo
y donde todo comienza
canto que ha sido valiente
siempre sera cancion nueva.
by sylphid-mave | 2010-04-12 06:18 | 音居間Latin | Comments(0)