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吉野宮に幸(いでま)しし時、 柿本朝臣人麻呂の作れる歌

690年五月(多分)(=^v
吉野宮に幸(いでま)しし時、 柿本朝臣人麻呂の作れる歌
36 やすみしし わが大王(おほきみ)の 聞こしめす 天の下に 国はしも 沢にあれども 山川の 清き河内(かふち)と 御心を 吉野の国の 花散らふ 秋津の野辺に 宮柱 太しきませば ももしきの 大宮人は 船並(な)めて 朝川渡り 舟競(ふなきほ)い 夕川渡る この川の 絶ゆることなく この山の いや高知らす 水激(たぎ)つ 滝の宮処(みやこ)は 見れど飽かぬかも

 反歌
37 見れど飽かぬ吉野の河の常滑(とこなめ)の絶ゆることなくまた還(かへ)り見む

持統は30回に及ぶ吉野幸を行っているのに、人麻呂随行は3回しか確認できません
持統天皇の寵を得て、随行を命じられ、天皇の身近にあって献歌を求められる存在だった人麻呂を持統が連れて行かないはずはない
ではなぜたった三回しか同行していないのか。
理由として人麻呂の籠もりたる妻の存在があげられる。
上記の吉野行幸の後690年9月天皇(持統)は紀伊に行幸しています。
当然人麻呂も随行しているのですが、このとき人麻呂は一首も歌を詠んでいないようです。
何故か?。なぜならば人麻呂はこの時同行していた女官と恋仲になり旅の間中周囲もそれとわかるほどのベタベタぶり。歌を詠むなんてダンではなかったようです。当然持統の目にもとまり、このあとふたりは同行が許されなくなります。この女官が人麻呂の籠もりたる妻ですかね。
持統の吉野幸の人麻呂随行が極端に少ないのは、礼を重んじる持統が人麻呂を連れて行かなかったって事になっているようですが。
果たして真相は、
持統が妬いて人麻呂を連れて行かなかったのか。はたまた、人麻呂は天皇のいないすきに京で女と遊んでいたのか。 とにかく、人麻呂は、時の最高権力者・神のごとき存在の持統天皇よりも愛する女を選んだのでしょう。
なんか、万葉人っておおらかですよね。
こういう、人麻呂に興味津々なのです。。。。。
by sylphid-mave | 2005-09-28 19:01 | 柿本人麻呂

by かぁ