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Mañana será otro día

《さよならも言わずに》「ラテン音楽名曲名演名唱 ベスト100」

「ラテン音楽 名曲 名演 名唱 ベスト100」
第9章 
日本人がしびれたラテン音楽の名曲名演10-アルゼンチン-
④-Se fue sin decir adios-

 リベルタ・ラマルケの演唱で有名な曲。この項では竹村さんはリベルタ・ラマルケとあのエビータとの話をしています。。興味深いのでまた引用させてもらいますね。
 ---------------------------引用-------------------------
 ”タンゴの女王”といわれたリベルタ・ラマルケ(1909~)が十八番としていた歌のタンゴの名曲である。有名な「ア・メディア・ルス」の作曲家で、優れた楽団リーダー/バイオリン奏者だったエドガルド・ドナートの実弟でコントラバス奏者だったアスカニオ・ドナートが曲を書き、フリオ・ロメロが詞をつけた。ラマルケはこれを1932年に録音。日本にも比較的早くオリジナル盤が入ってきて人気があったそうだ。日本人好みともいえる甘美なメロディに、ラマルケの可憐なボイスがぴったりマッチして、もののあわれが漂うような、なんともいえない雰囲気がうけたのではないか。さっそく淡谷のり子が昭和12年12月、同14年2月には江戸川蘭子の日本語版も発売された。戦後にも藤沢嵐子がスペイン語で唄ったレコードを出した。
 でも、この歌はやはりラマルケで聴きたい。この人はどちらかといえばアルゼンチン女性らしくない容貌だが、それがかえって受けたのか、舞台と映画でも大活躍した。10歳頃から子役として活躍し、1920年代にはその美声を武器にフォルクローレを唄い、26年にはビクトルと契約して録音するようになり、タンゴ歌手としても有名になっていった。ところが、運命は判らない。45年に映画『サーカス・プロムナード』に主演女優として出演したときのこと、その撮影中に準主役だったエバ・ドゥアルテ(1919~52)と悶着をおこしたのだ。実際には、遅刻の常習者でずる休みもするエバにいささか強い口調で注意しただけらしいが、なにしろ相手がわるかった。マスコミがわっと飛びついた。というのも当時のエバ(エビータ)は翌年アルゼンチン大統領となるペロン大佐と大恋愛中で、彼の後ろ盾もあってめきめき頭角を現しつつあった頃で、撮影中も女王のようにふるまっていたという。ラマルケは数週間我慢したあげく、ついにキレてエバに文句を言ったというわけだ。その頃のラマルケは歌手としても女優としても、エビータの数段格上であり、当然のことをしたまでだが、46年にペロンが大統領選挙で勝利したのを受けてメキシコに亡命し、ペロン政権が倒れる55年まで帰国しなかった。「わたしのギターよ/お願いがあるの/あの人の偽りを忘れさせてほしいの・・・・・・裏切りに流れるわたしの涙を歌にしてほしいの/そのやさしい音色で」という歌詞は、さよらなも言わずに去っていった男への恨み節なのだが、ぼくにはメキシコ時代のラマルケにぴったりのテーマ・ソングに聞こえてしかたない。
--------------------------------引用終わり-------------------
残念ながらリベルタ・ラマルケは見つかりませんでした。。

日本語版 江戸川蘭子の歌で さよならも言わずに Se Fue Sin Desir Adios

by sylphid-mave | 2010-05-06 06:19 | 音居間Latin | Comments(0)