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Mañana será otro día

二つなき恋をしすれば常の帯を三重結ぶべく我が身はなりぬ
五十路を過ぎてどっぷりとメタボ体型に移りゆく私は常の帯では足りなくなって、
ベルトを買い直しました。
20代前半までは26インチ、30代までは27インチのリーバイスがはけたのですが、
・・・・・・・・・・
人麻呂転載の続きです。

2006/11/02のBlog
巻十三 相聞
一首并短歌 作者未詳
3272 うちはへて 思ひし小野は 遠からぬ その里人(さどひと)の
 標(しめ)結(ゆ)ふと 聞きてし日より 立てらくの たづきも知らに
 居(を)らくの 奥処(おくか)も知らず 親(にき)びにし わが家すらを
 草枕 旅寝(たびね)のごとく 思ふそら 安からぬものを
 嘆くそら 過ごし得ぬものを 天雲(あまくも)の 行くも暮れ暮(ぐ)れ
 葦垣の 思ひ乱れて 乱れ麻(を)の 麻笥(をけ)を無みと
 わが恋ふる 千重の一重も 人知れず もとなや恋ひむ 息の緒にして
 (打延而 思之小野者 不遠 其里人之 標結等 聞手師日従 立良久乃 
 田付毛不知 居久乃 於久鴨不知 親之 己之家尚乎 草枕 客宿之如久 
 思空 不安物乎 嗟空 過之不得物乎 天雲之 行莫〃 蘆垣乃 思乱而 
 乱麻乃 麻笥乎無登 吾戀流 千重乃一重母 
 人不令知 本名也戀牟 氣之緒尓為而) 

反し歌
3273 二つなき恋をしすれば常の帯を三重結ぶべく我が身はなりぬ
 (二無 戀乎思為者 常帶乎 三重可結 我身者成)
一首并短歌 作者未詳 
3274 せむ術(すべ)の たづきを知らに 石(いは)が根の 凝(こご)しき道を 石床の 
 根延(は)へる門(かど)を 朝(あした)には 出で居て嘆き 夕べには 入り居て思ひ
 白たへの 我が衣袖(ころもで)を 折り返し 独りし寝(ぬ)れば 
 ぬば玉の 黒髪敷きて 人の寝(ぬ)る 味眠(うまい)は寝ずて 
 大舟の ゆくらゆくらに 思ひつつ 吾(あ)が寝(ぬ)る夜らを
 数(よ)みもあへむかも
 (為須部乃 田付・不知 石根乃 興凝敷道乎 石床笶 根延門・ 
 朝庭 出居而嘆 夕庭 入居而思 白栲乃 吾衣袖・ 折反 獨之寐者 
 野干玉 黒髪布而 人寐 味眠不睡而 大舟乃 徃良行羅二 
 思乍 吾睡夜等呼 讀文将敢鴨)

反し歌
3275 一人寝(ぬ)る夜を数へむと思へども恋の繁きに情利(こころと)もなし
 (一眠 夜算跡 雖思 戀茂二 情利文梨)

贈歌
(3272) うちひろがっている野とのみ思っていた(軽)の小野は、ほど近いその里人(軽の里に住む土形娘子)が標(しめ)を結んで待っていると聞いた日から、わけもなく、
いてもたってもいられなくなり、住み慣れたわが家さえも、旅の宿のように感じられ、
思う心は安らかでなく、嘆く思いを遣(や)りようもないでいるものを。
空の雲が移りゆくのを見ても心は滅入り、蘆垣(あしがき)のように思いは乱れて、乱れた麻(お)をととのえる麻笥(おけ)もない(乱れる心をおさめる司=官職もない)。我が戀の思いの千の一つも、人には言わず、たとい虚しかろうとも恋していこう。これを生き甲斐にして。

(3273) 二つとない戀をするので、帯を三重に巻いて結ぶほど、我が身はやせ細ってしまった。 

答歌
(3274) どうしてよいかわからず、石敷きのごつごつの道を、石床のどっしりした門を、朝には出てみて嘆き、夕方には、入ってあなたを思い、白い衣の袖を折り返してひとりで寝るので、
黒髪を敷いて寝ても、他の人が寝るほどぐっすりは眠れず、大舟の揺れるように、
あれこれと思いながら、わたしが寝る夜々を、数えきることが出来ようか。
(3275) ひとり寝る夜を数えようと思うけれど、恋しさが募って、わたしの心はしっかりしない。

4首とも作者未詳ですが、人麻呂と土形娘子との相聞歌として、、、
来て欲しいといわれ、会いに行きたいのにそれもままならず、心ここにあらず、わが家さえ旅宿のような人麻呂。
朝に夕に待ち続けひとり眠れぬ夜を過ごす土形娘子。
もう、本当に(せむ術の たづきを知らに)の状態。。
この頃って人麻呂の家には羽易娘子(家の妻)はまだいなかったのだろうか。
もしいたとしたら、(わが家すらを 草枕 旅寝(たびね)のごとく)思うのは、いかがなものかと。。
いやぁ。情熱的な人たちで。。。
それにしても、ひらがながなかった時代だとはいえ、もろに当て字ですね。
(朝庭ってなんだろと思ったら ・・朝には・・だって。。)
-------------------------
記事は、主に
 1,秘められた挽歌-柿本人麻呂と高市皇子
 2,無冠の恋歌
 末田 重幸著
 講談社
 の2冊を、参考にさせてもらっています。
もし、興味をお持ちになった方がいたら、読まれてみてはと思います。。
ただ私の文章については、歌の解釈歴史的背景その他に誤りが多々あるかと思いますので、間違っても決してお勉強のご参考にはなさらないよう
伏してお願い申し上げます。<(_ _)>
[ 更新日時:2006/11/02 07:11 ]
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by sylphid-mave | 2008-11-08 11:07 | 柿本人麻呂 | Comments(0)
久々に
ドブログより転載の続きです。。

2006/10/14のBlog
萬葉集巻第十三
 雜謌
 一首并短歌 作者未詳
3223 霹靂(かみとけ)の 日香(ひかれる)天(そら)の 九月(ながつき)の 
     時雨(しぐれ)のふれば雁(かり)がねも いまだ来鳴かぬ 神奈備(かむなび)の 
     清き御田屋(みたや)の 垣津田(かきつたの) 池の堤の もゝたらず 
     斎槻(いつき)が枝に 瑞枝(みずえ)さす 秋の赤葉(もみじは) 
     まきもてる 小鈴(をすず)もゆらに 手弱女(たわやめ)に 吾はあれども 
    引よぢて 枝もとををに うち手(た)折り 
    吾(あ)はもて行く 公(きみ)が挿頭(かざし)に
     霹靂之天之九 乃鍾礼乃落者雁音文未来鳴甘南備乃 三田 
     乃垣津田乃 之 之百不足三十槻枝丹水枝指 赤葉真割持小 
     文由良尓手弱女尓 者有友 攀而 文十遠仁[手偏+求]
     吾者持而徃公之頭刺荷

 反歌
3224 独り(ひとり)のみ見れば戀(こほ)しみ神名火(かみなひ)の
     やまの黄葉(もみちは)たおりこんきみ
     獨耳見者戀染神名火乃山黄葉手折來君  

 一首并短歌 作者未詳
3227 
   葦原(あしはら)の 瑞穂(みづほ)の国に 手向すと 天降(あも)りましけむ 
   五百万(いほよろず) 千萬神(ちよろずかみ)の 神代より いひつき来る 
   甘南備(かみなび)の みむろの山は 春されば 春霞たち 秋ゆけば 
   くれなゐにほふ 甘南備(かみなび)の みむろの神の 
   帯にせる あすかの河の みをはやみ 生(を)ひためがたき 
   石枕(いはまくら) こけむすまでに 新夜(あらたよ)の さきくかよはむ 
   ことはかり 夢にみせこそ 剣太刀(つるぎたち) いはひ祭れる 神にしませば
   葦原笶水穂之 丹 為跡天降座兼五百万 之 從云續 甘南備乃三諸 
   者 去者 立 徃者紅丹穂經甘甞備乃三諸乃 之 為明日香之 
   之水尾速生多米難石 蘿生左右二新 乃好去通牟事計 
   尓令見社 劔刀齊 二師座者

 反歌
3228 かみなひの三諸の山にかくれたるすきしすきんやこけのむすまて
     神名備能 之 丹隠蔵杉思將過哉蘿生左右

3229 いくしたてみわすへまつる神主のうすの玉かけ見れはともしも
     五十串立神酒座奉神主部之雲聚玉蔭見者乏文

(3223) 稲妻が天空に光り、九月の時雨が降り、雁もまだきて鳴かない(このごろ)、
      神奈備の清い御田屋の、垣内田(かきつだ)の池の堤に立つ、
     神聖な槻の木の多くの枝に、みずみずしく色づいた秋の紅葉。
     手に巻いた小鈴を鳴らしながら、か弱い女の身の私ではあるが、
     ひきよじて、枝もたわわに折りとって、私はもっていく。
      あなたの挿頭(かざし)にと思って。
(3224) 独りだけで見ていると、あなたが恋しくなって、
      神名火山(かむなびやま)の黄葉を折り取ってしまいました。あなた。

(3227) 葦原の瑞穂(みずほ)の国にお供えをする山だと、
      多くの神々が天降りました神代より、語り継がれてきた神奈備の三諸の山は、
     春が来れば春霞が立ち、秋になれば紅葉が美しい。
     その神奈備の三諸の神の帯になって流れる明日香川は、
     水流が速く苔もつかないが、その川床の石に苔が生えるまでも、
      毎夜のように、うまく通える計画を夢に見せて欲しい。
      剣刀をおさめ、心をこめてお祭りする神なのだから。

(3228) 神名火の三諸の山に懸けて、あなたを恋しく思う気持ちは消えることはない。
      川床の石に苔が生えるまで。

(3229) 斎串(いぐし)を立て、神酒をお供えする神主部の、うずにさす玉の葉陰を見ると、
     (あなたが、わたしの挿頭に手折りもっていくと歌った紅葉のことが思われて)
      羨ましくなる。


万葉集 巻十三の雑歌、作者未詳となっていますが土形娘子と柿本人麻呂との戀の相聞歌だと勝手な思い込みの上で。。
3223、3224が土形娘子の贈歌。それに3227、3228、3229で人麻呂が答えた、相聞。
素人の私でさえ人麻呂の答歌より土形娘子の贈歌の方が優れているように感じます。。
自身優れた歌人である持統の寵愛を受け、草壁皇子に愛された(持統は皇子を土形娘子から
離さざるをえなかった。)土形娘子。その才能と容姿がいかに優れていたかが伺えます。

歌っている内容は極々ありふれた恋人同士の歌。
土形娘子
 「ひとりで見ていると、あなたが恋しくなって、か弱い女の身の私だけれど、手に巻いた小鈴を鳴らしながら、枝もたわわに神名火山(かむなびやま)の黄葉を折り取ってしまいました。
あなたにと思って。」

人麻呂
 「三諸の山の神様ならば、毎夜のように、あなたにあえる計画を夢に見せて欲しいものだ。神名火の三諸の山に懸けて、あなたを恋しく思う気持ちは消えることはない。」

お互いに恋しいよう、毎晩でも会いたいよう、っと言っているわけですね。千年以上時が経っても男女の想いはあまり変わらないようです。
でも、この歌に何となくよそよそしさを感じるのは、まだ出会って間もない頃だったからなのでしょうか。。
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記事は、
 1,秘められた挽歌-柿本人麻呂と高市皇子
 2,無冠の恋歌
 末田 重幸著
 講談社
 の2冊を、参考にさせてもらっています。
歌とその歌意については、できるだけそのままにしています
ただ私の文章については、歌の解釈歴史的背景その他に誤りが多々あるかと思いますので、
決してお勉強のご参考にはなさらないよう
伏してお願い申し上げます。<(_ _)>
[ 更新日時:2006/10/14 00:20 ]
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by sylphid-mave | 2008-09-19 23:47 | 柿本人麻呂 | Comments(0)
 藤原宮御井歌695年
52 やすみしし わご大王 高照らす 日の皇子 あらたへの 藤井が原に 大御門(おほみかど) 始めたまいて 埴安(はにやす)の 堤の上に 在り立たし 見(め)し給へば 日本(やまと)の 青香具山は 日の経(たて)の 大御門に 春山と繁(しみ)さび立てり 畝火の この瑞山(みづやま)は 日の緯(よこ)の 大御門に 瑞山と 山さびいます 耳成の 青菅(すが)山は 背面(そとも)の 大御門に 宜しなへ 神さび立てり 名ぐはし 吉野の山は 影ともの 大御門ゆ 雲居にぞ 遠くありける 高知るや 天(あめ)の御蔭(みかげ) 天知るや 日の御影の 水こそは 常(とこ)はにあらめ 御井の清水(ましみず)
短歌
53 藤原の大宮つかへあれつぐや処女(おとめ)がともは羨(とも)しきろかも
右の歌作者いまだ詳ならず
藤原宮の宮地には古くから名高い井泉がありその泉と藤原宮の安泰を歌にしたのでしょうか。この「御井歌」のころが、人麻呂が、官人としてもっとも安定していた時期のようです。気紛れな持統天皇から離れ、高市皇子の人柄と、ときの太政大臣としての揺るぎない地位に、人麻呂は自らの政治生命をかけていたのでしょう。単純な構成の歌ですが、それ故に平穏で悠々とした詩境をを感じさせるうたです。

歌意
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by sylphid-mave | 2005-10-15 09:53 | 柿本人麻呂 | Comments(0)
藤原宮之役民作歌693年

50 やすみしし わが大王(おほきみ) 高照らす日の皇子 あらたへの 藤原が上に 食国(をすくに)を 見(め)し給はむと 都宮(みあらか)は 高知らさむと 神(かむ)ながら 念(おも)ほすなへに 天地も 寄りてあれこそ 石走る 淡海(あふみ)の国の 衣手(ころもで)の 田上山(たなかみやま)の 真木(まき)さく 檜(ひ)のつま手を もののふの 八十氏河(やそうぢかは)に 玉藻なす 浮かべ流せれ そをとると 騒ぐ御民も 家忘れ 身もたな知らに 鴨じもの 水に浮きゐて わが作る 日の御門(みかど)に 知らぬ国 依り巨勢道(こせぢ)より わが国は 常世(とこよ)にならむ 図(ふみ)負へる 神(あや)しき亀も 新世(あらたよ)と 泉(いづみ)の河に 持ち越せる 真木(まき)のつまでを 百(もも)足らず いかだに作り のぼすらむ 勤(いそ)はく見れば 神ながらならし

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by sylphid-mave | 2005-10-15 09:04 | 柿本人麻呂 | Comments(0)
軽皇子の阿騎(あき)の野に宿りましし時、柿本朝臣人麻呂の作れる歌
45
やすみしし わが大王 高照らす 日の皇子 神ながら 神さびせすと 太敷(ふとし)かす 京を置きて 隠口(こもりく)の 泊瀬(はつせ)の山は 真木(まき)立つ 荒山道(あらやまみち)を 石(いわ)が根の 禁樹(さへき)おしなべ 坂鳥(さかとり)の 朝越えまして 玉かぎる 夕さりくれば み雪ふる 阿騎の大野に 旗すすき しのを押しなべ 草枕 旅宿りせす 古(いにしえ)念(おも)ひて
 短歌
46
阿騎の野に宿る旅人うちなびき
 いも寝(ぬ)らめやも古(いにしえ)念(おも)ふに
47
真草(まくさ)刈る荒(あら)野にはあれど黄葉の
 過ぎにし君が形見とぞ来(こ)し
48
東(ひむがし)の野に炎(かぎろひ)の立つ見えて
 かへり見すれば月西渡(かたぶ)きぬ
49
日並皇子の命(みこと)の馬並(な)めて
 御猟(みかり)立たしし時は来向(きむか)ふ

沈鬱な情感漂う歌ですって(よくわかんないんですけど(⌒○⌒)。冬の猟を歌っているから沈鬱なのか、人麻呂の持統や軽皇子への思いが沈鬱な歌を作らせたのか。
此処にみんなが知ってる有名な歌があります。
そう。48「東の 野に炎の・・・・・・」です。
この歌に当時の情勢と人麻呂の天皇への思いが読みとれるかも。
当時、東の香具山に高市皇子の宮殿が、西の畝火(うねび)の軽に軽皇子の宮殿がありました。つまり日の出直前の光が差し渡る様子が高市皇子。そして草壁皇子の皇子、持統天皇の皇孫、軽皇子が西に傾いていく月なんですね。是がこの時期の政治的実勢だったようです。
軽皇子擁立をはかる天皇が劣勢挽回を意図して計画した阿騎野の出遊だったようですが、当時、現実はこの歌の寓意そのものだったようです。
そして、人麻呂は皇孫軽皇子への肉親としての偏愛を露骨に示し、皇位継承に執着し続ける女帝から離れ、宮廷内外に信望の篤い太政大臣高市皇子に惹かれていきます。


記事は、
       1,秘められた挽歌-柿本人麻呂と高市皇子
       2,無冠の恋歌
                 末田 重幸著
                 講談社
 の2冊を、参考にしています。
歌とその歌意については、
   できるだけそのまま写させてもらっています
ただ私の文章については、歌の解釈歴史的背景その他に誤りが多々あるかと思います。
決してお勉強のご参考にはなさらないよう
伏してお願い申し上げます。<(_ _)>
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by sylphid-mave | 2005-10-13 06:55 | 柿本人麻呂 | Comments(0)
人麻呂について。

このところ人麻呂の歌を記事にしているのですが、正直言って人麻呂のことも時代的背景もほとんど知りません。
で、以前紹介させてもらった末田重幸さんの本を読み返すことにしまして、
ついては、時代を追いながら、人麻呂の歌を記事にしてみたいと思います。
できるだけ感じたことを文章にしていきたいと思いますが、ほとんど本の受け売りになるかもです。
元々身勝手で天の邪鬼なブログですが
(ブログって多かれ少なかれそんなモンなんでしょうが(^^))
とりとめのなさに拍車がかかっていくようです。
別にねぇ~って方は素通りしてください。
このバーチャルなブログの中だけでは『天上天下唯我独尊』。。。(意味あってるかな?)
  ってつもりです。(^O^)

PS。かきためておけばネタ切れのつなぎになるし、第一、画像使わないんで容量喰わないしぃ(この辺がほんねだったりして。<(^_^;)>)


人麻呂の作る歌として最初に万葉集に登場する歌。

近江の荒れたる都を過ぎる時、柿本朝臣人麻呂の作れる歌
巻一 二十九
玉たすき 畝傍(うねび)の山の 橿原(かしはら)の 日知(ひじり)の御代ゆ
生(あ)れましし 神のことごと つがの木の いやつぎつぎに 天(あま)の下
知らしめししを 天(そら)にみつ 大和を置きて 青丹(あおに)よし 奈良山を越え
いかさまに 念(おも)ほしめせか 天(あま)ざかる 夷(ひな)にはあれど 石走(いはばし)る 淡海(あふみ)の国の さざなみの 大津の宮に 天(あめ)の下 知らしめしけむ
天皇(すめろぎ)の 神の尊(みこと)の 大宮は ここと聞けども 大殿は ここと言へども
春草の 茂く生(お)ひたる 霞立つ 春日の霧(き)れる ももしきの 大宮処 見れば悲しも
反歌
三〇
さざなみの志賀の辛崎(からさき)幸(さき)くあれど大宮人の船待ちかねつ
三一
さざなみの志賀の大わだ淀(よど)むとも昔の人にまたもあはめやも


おおよそ、688年(持統二年)の晩春の頃
壬申の乱(672年)から15年ばかり後、悲劇の京の址にはじめてたったときのうた。
人麻呂27~28歳の頃の歌。宮廷内で評判になり、やがて持統の目に留まることになります。若い官人 人麻呂の華々しいデビューの歌。
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by sylphid-mave | 2005-09-24 18:54 | 柿本人麻呂 | Comments(0)