不意に思い立って、サンバをエントリしてみたとデス。
今日も朝から早朝フライト行ってきました。
バルサ機は公園翼端機も野球投げ機もなかなか好調でした。
紙sylphidは不調でした。。。
って話は又のちほどエントリさせていただくことにしまして。。。。
今日のタイトル
不意に思い立って、
サンバをエントリしてみた。
曲も、歌詞も
サンバらしくないと感じた方も多かったろうと思う。
いや、多分大半の方がそう感じられたのではと思う。
でも、天邪鬼な親父はこんなサンバが好きなのです。
この哀感こそがサンバの本質だと感じるのです。
ボサノバのエントリでも書いたサウダージがここにもある
いやサンバにこそある。
そう思うのです。
詳しい数字は覚えていないけれど、
ブラジル人の7%は裕福な上流階級。
3%が中流の人々。
そして90%の人々はモーホ等で暮らす貧しい人々。
だそうです。
勝手な思いこみかも知れませんが
ボサノバはその7%と3%の人々から生まれ、
サンバは90%の人々に育てられた。
(だからボサノバは生まれた当初はあまり広くは受け入れられなかったのでしょうか??
もちろん、トム・ジョビンもロベルト・メネスカルだって大好きですけどね。)
90%のあまり裕福とはいえない人々、彼らの生活と一体になっているサンバ。
その曲の想いを感じるためにはやっぱりサウダーヂがわからないといけないのかなぁ。
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saudadeって。
引用
saudade
ブラジル音楽を聴く上でぜひ理解しておきたい感情。
日本では「郷愁」と訳されることが多い。確かにポルトガルのポルトガル語では、サウダーデと発音し、懐かしさややるせない想いをさす言葉であるが、ブラジルではサウダージと発音するのが一般的で、もっと切実な思慕感覚をさし、この情感には必ず涙がともなう。それはアフリカから無理矢理つれてこられた人たちが、故郷や家族を思う心情がブラジルのサウダージの原点にあるからで、この点でポルトガルのサウダーデとはポルトガル語の綴りは、一緒でも質を異にする。
地理的な距離は遠くてどうにもならないが、心のなかでは至近の距離にあるもの、というより片時も忘れられない対象への焼け付くような想いがサウダージである。
それが現代では、なんらかの理由で離ればなれになっている夫婦、愛人、恋人への切々たる想いにもサウダージが転用され、歌にもひんぱんに登場する。またサンバやサンバ・カンサゥンの底流にあるやるせない情感もまたサウダージであり、いわばブラジル音楽を理解する上できわめて重要な情感といえる。
引用終わり 《ラテン音楽 名曲 名演 名唱 ベスト100 竹村 淳著》より
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そういう想いを私たちが理解することは難しいと思う。
他にも、構造的な貧富の差も現実にはあるのかも知れない。
どうしようもない悲しみ、辛さ、そんな耐えきれない心の負担から逃れるため、
彼らは心が空っぽになるまで陽気に歌い、踊り、明かすのでしょうか。。。
日本人の感覚からすると、
楽になりたいのなら、もっと頑張って働けや・・・・・って
言う人もいるかも知れませんが。。。。。。。
私は、怠け者なのでそうはいえませんね.......ヘヘh
サンバは切ない。。
聴く度にいつもそう思います。
勿論陽気で明るい曲だってたくさんありますが。
よく心で聴いてもらえたら。。(余計なお世話でしょうが)。
胸に刺さる切なさを感じ取れると思う。
やり場のない郷愁 サウダーヂが。。
その想いに耐えるために、
サンバは歌う。
陽気に、明るく。
力強く、激しく。
そして、時に切なく歌う。
ね、サンバって素敵でしょ・・・・
ヤッパ夏はサンバですよ.....
といっても、彼の地ブラジルは今は真冬ですが、、、、、、
まだまだ、聴いて欲しい曲がたくさんあったのだけど、
取り敢えずここまで、中締めです。
ここまで駄文に目を通してくださった方々、obrigado。。