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Mañana será otro día

春過ぎて夏来にけらし白妙の・・・・・・・


29 春過ぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山
この歌は、もちろん人麻呂の歌ではありません。
百人一首にも載っている、持統天皇の有名な歌ですね。
何故、この歌を、、、、というと。
実は、高市皇子に関わりがあることと、
一見さわやかなこの歌から持統の凄さが読みとれるからです。

どう凄いかというと。。。。

持統は、さりげなく初夏の風物詩のように歌い上げていますが。
実は、白妙に装いした香具山の宮殿(喪中の高市皇子の宮殿)を望見し、
皇子の死を悲しむ一片の気配も見せず、
待ちに待ったこの日の感懐を、歌いきっているのです。
この歌にはすがすがしささえ感じます。
まさに、王者の風格でしょうか。
何ともはや、凄いお方です。
何か、人麻呂の
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東(ひむがし)の野に炎(かぎろひ)の立つ見えてかへり見すれば月西渡(かたぶ)きぬ
と対をなすようにも見えますね。

高市皇子謀殺の翌年、697年2月軽立太子実現。それまで春宮大夫(みこのみやのつかさのかみ)の官にいた人麻呂は失官します。 そして8月、軽皇子は文武天皇として即位します。
しかし、高市皇子の影響は大きく、藤原京に暗い影を落とし政治は混乱します。


702年12月持統上皇没。
707年2月遷都が朝議される。
 遷都反対派の文武天皇と、その母であり遷都派の元明(阿閇(あべ)皇女)が対立。
707年6月15日文武崩御。
707年7月17日元明天皇即位。
 母と子の対立の中また当事者が急死。たった一月後に母、元明天皇即位。
 またしても、女帝誕生。母と子の間にいったい何があったのでしょう。
 なんか、怖いですねぇ。
そして、710年(和銅3年)3月10日。平城京遷都。
 この元明天皇のころ禁書政策がいっそう進められ(隠しておきたいことが、山ほどあったのでしょうね。)人麻呂の事績も歴史から姿を消すことになります。
by sylphid-mave | 2007-06-03 00:05 | 柿本人麻呂

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